今日は朝から心がザワザワしていて、落ち着かないんです。
それで、ブログを落ち着いて書こうと思っても書けなくて、やめようかと思ったのですが。
このザワザワ感を楽しみながら何か書けないかな、と思って書き始めました。
ので、今日は特におかしな内容になるかもしれません。先に謝ります。ごめんなさい。
たまに、どうしようもなく、理由もわからずにザワザワすることありませんか?
私は稀にそういう日があります。
何か悪いことでも起こるのか?と不安になったりして、さらにザワザワしてしまったりもします。
一旦心を落ち着けようと思って、とにかく不安をなくそうと思って、手をつけたのは「今日やることリスト」を作ることでした。でも、ザワザワしてると、それも書けないんですよね。「だめだ、ザワザワしててわかんない!」みたいな(笑)
じゃあ、どうしよう。と思って、今度は外に出てみました。何だか外に出ないといけないような気がしたんです。散歩しながら、頭の中を整理・・・できない。こんな呑気に散歩していていいのか。いや、それもよくわからない・・・。
で、外に出たついでに、お昼ごはんと夕飯の材料を買って帰りました。
そんな感じで、ザワザワしながら、あまり判断を有しない作業をいくつかこなし、ようやく少しだけ落ち着いてきました。が、漠然とした不安。今日はそういう日なんですかね。もういいや、せっかくだから楽しんでしまえ。ブログでも書こうっと。
そんな感じです。
こういう時は、いま流行りの「瞑想」がいいのかな、なんて思ったりもしたところで、急に学生時代を思い出しました。
学校の教育方針で、入学式や卒業式、あるいは毎日の朝の会、帰りの会など、何かを行うときは、その前後に「目を閉じて静かにする」という文化がありました。毎日のように号令がかかると、身体のどこかにそれ用の回路ができるんでしょうか。おかげで、それまでどんなにザワザワと騒いでいても、一度号令がかかると全員が黙って目を閉じるので、しーんとした空間になるんです。(ちょっと面白くなるくらいです。)
しかも、その間、何を考えてるわけでもありません。時間にして10〜15秒くらいなので、余計なことを考える間もなく、ただ「止め」の号令を待つだけ。
だから、しーんとした静かな空間を味わうしかやることがないんです。
いま思うと、これは簡易的な瞑想だったんだな、と思います。
目を閉じて、急に静かになって、今まで気づかなかった「校舎の外の草木のざわめき」や「別の学年の子達のはしゃぐ声」「前髪を揺らすそよ風」「近寄ってくる先生の気配」などがわかるようになります。見えない分、他の感覚を研ぎ澄まそうとするのです。結果、いまこの瞬間を自分の肌感覚で味わう。それを無意識にやっていたのかな、と。
そして、目を開けると、不思議と心は静まっていて、次の動作にすんなり入れるようになっています。実はものすごい効果があったんだな、と今更ながら気づいてしまいました。
と、ここまでブログを書いてきて、今の自分の心が落ち着いていることを自覚しました。ブログを書いていたら、他の余計なことは忘れてブログのみに集中していました。
もしかすると「集中」が鍵なのかな?
「目を閉じて肌感覚を研ぎ澄ます」のも「瞑想」するのも、ある種の「集中」だと思うんです。つまり、「ザワザワした心=集中力が散漫している状態」ということなのかもしれませんね。確かに月初だからやらねばならないことが諸々ありました。加えて月曜日なので、それもまたやることが諸々と。。。
これからは、学生時代を思い出して、毎朝15秒くらいは目を閉じて心を落ち着かせようかな、と思いました。