わたしの考えてること

日々の生活を通して気づいたことを書いています

自分の形(個性)を知って、それを活かせる場所を知りたい

会社から具体的な作業指示をもらって作業をして、終わる前に次の仕事の話がきて、何ならこれも一緒にやってなんて並行作業をしたり。いい加減休みたいなとか思ったり。

そんな会社員生活を送っていましたが、フリーランスになった今、作業依頼を獲得するのがここまでかと思うくらい難しくて。やたら忙しい時と、やたら暇な時と、波が激しい今日この頃です。

 

反省すべき点も改善すべき点もたくさんあります。自分に足りないと思うところを磨きながら、いろんなことを試して、少しでも自分に価値を追加しようとしています。

 

で、疲れちゃうんですよね。

「自分に足りないもの」ばかりみていると、どんどん自分がダメな人間だとか無価値なんだとかいう思考に陥ってしまうんです。で、どんどん気分が重くなって、あー疲れたって。

これ、何とかならないのかな、いつまでも続けてはいられないよな、と。

 

そこで、考えました。

「自分に欠けてる部分を埋める」を続けたら、どうなるんだろう。

 

「欠けていない状態」を「球体」の形でイメージしてみました。そうすると、欠けている自分は球体の表面のいろんな場所が凹んでいる状態。その凹みを色んなもので埋めていく。球体に近づくために。毎日頑張って凹みを埋め続けた結果、いつしか形は球体になりました。

ただ、この球体、確かに形は綺麗かもしれないけど、「何でもバランスよくできる人」でしかないのかな、と。しかも、人と比べて(=平均と比べて)足りない部分を埋めて完成した形です。全てにおいて平均的なが備わった、ということと同義です。

 

自分がなりたかった形ってこれだっけ?と我に返りました。

綺麗な球体の形も個性です。色々なことをバランスよくできるからこそできる作業もあります。特にリーダーなど上に立つ人は、こうあるといいのかもしれません。

ただ、私が求める形はこれではなくて、どちらかといえば「この点に関しては、この人に任せておけば間違いない」と言われる形を目指していました。そして、気づきます。球体には凹みだけでなく凸部分もあるはずなんです。

 

であれば、足りないものに目を向けるのではなく、今ある形をうまく使って、独特な形になることを目指した方がいいはず。球体の表面の凹凸をうまく使って、面白い形になることを目指した方が、求める形に早く近づくのでは?

だとしたら、やるべきことは「足りないところを埋める」のではなくて、「今の自分の形を把握する」ということになりますよね。そして、その形を活かす場所を探すことに焦点を置いた方がいいのかなと。

 

というわけで、自分の形を知ることに専念したいなって思い始めた朝でした。