わたしの考えてること

日々の生活を通して気づいたことを書いています

お金の不安と向き合う

最近、手取り収入が減ってきていて、「お金の不安」に取り憑かれそうな毎日です。物価も上がってるし、手当は減るし、税金やら何やら支出は増えるしで、心を地味にチクチクと刺してきます。

 

別に裕福な育ちでもなかったので、お金の不安は今までもありました。でも、何とかなるさーみたいなお気楽さがあったのです。

ただ、今回は、至近のライフイベントに対して、現時点で「圧倒的にお金が足りてない!」ということがわかっているのです。さすがの私も何か対策をしなければならないわけです。

 

お金の不安って、何でこう人の心を縛り付けて荒ませるんでしょうね。スーパー行ってもひたすら「我慢」をし、行楽シーズンも「我慢」、何をしてても我慢ばかり。こんなことでは、心も体もおかしくなりそう。

 

ということで、ちょっとリセットしてみようと思いました。不安な気持ちだけでも。

 

そもそも、お金の不安とは?お金がないとどうなるの?と考えた時、

  • ご飯が食べられなくなる
  • 家に住めなくなる
  • ほしいものが買えなくなる
  • やりたいことができなくなる
  • 手元に何もなくなって、苦しい思いをしないといけなくなる

みたいなイメージが浮かびました。

 

何より、「ご飯が食べられない」ということに対する恐怖感は大きいです。他のことは代替案があったり、ちょっとの間我慢するなり、なんかできそうです。でも、ご飯に関しては、「今日の夕飯どうしよう」「明日はご飯食べられるといいな」なんてことになったら、それはもう命に関わる話であって、恐怖感の大きさにもうなづけます。

 

ですから、あえて、ここに疑問を呈します。

「お金がないと、本当にご飯が食べられないの?」

 

そんなことを思った時、ふっと自分がそう思い込んでいるんだなということに気づきました。

ご飯はお金でしか買えないと思っていたけれど、例えば、家事する代わりに一食いただくとか、家庭菜園しておけば野菜は自分で収穫できるとか、お金を介さなくても食べ物を得る方法はあるじゃないか、と。

つまり、「お金を稼ぐ」ではなくて「食べものを得る」ための活動をする、という視点もあるよね、っていうことです。

 

そうすると、「お金がなくて不安」だったのが、ただ「お金が足りてない」という事象として捉えられるような、そんな感じがしました。

 

ただの数字の問題になってくれれば、あとは帳尻合わせていくだけとも言える。

そんな気持ちで頑張っていけたらいいな、なんて思います。