わたしの考えてること

日々の生活を通して気づいたことを書いています

新しい技術に追いつけないなりの立ち位置を探る

一応技術者なのですが、新しい技術についていけなくて冷や汗書きながら仕事をしています。そんなわたしは、「どこをどう直せばいいのかはわかるけど、今あるツール(ソフトウェアだったり機材だったり)をどう操作するとそれができるのかがわからない」という事象に度々出会います。そんなこと言うと、もうお年寄り扱いです。そんなこともできないの?ってみんなに言われてるような気がしたりして、肩身の狭い思いをします。

 

新人の頃は、「もう歳だからついていけないよ」なんて言っている先輩方の話を聞いて、年齢のせいにするのはどうだろうかなどと思っていたものです。しかし、いざ年齢を重ねてみると、自分も同じこと言ってるという。

今日もそんな自分にがっかりしております。。。

 

年齢のせいにするのは違う、とは今でも思うんです。でも、確かに、若い頃にはできた「新しい知識をどんどん吸収して、技術革新の波を乗りこなす」みたいなものはできなくなってきているなと思っています。何でだろう、と思ってしまいます。

 

成長への意欲がなくなったから?

体力がなくなったから?

過去の栄光に固執してるから?

 

そういうのもあるかもしれないけど、もっと違う何かがそこに潜んでいるような気がします。

だって、今でも「推し」への意欲と行動力とそれに伴う向上心はあるし、むしろ昔よりも上手に動けることだってあるわけで、一概に「衰えている」とも言えないなと思うんです。

だから、きっと、何かがあるんだと信じたい。

 

それで、考えてみました。昔の自分と何が違うのか、と。

 

新人の頃は、全てが新しくて、目の前にあるものを吸収することに必死でした。少しでも早く戦力になりたくて、いろんな経験をさせてもらいながらいろんな技術を吸収しました。

インプットに全振りできたんですよね、ある意味で。

 

でも、ある程度の経験値を踏むと、アウトプットの力が要求されてくる。自分の中にある、あらゆる経験と技術を振り絞って、何かを生み出す側の立ち位置にシフトしてきます。そんな中、さらに新しい技術をインプットするのは大変。しかも、近くに座ってる若手がそれらの知識をぐんぐん吸収していく…。

 

じゃあ、インプットは若手に任せて、自分はアウトプットに全振りすればいい。仕事はチームで行なっているのだから。

その発想になるのは、自然なことなんじゃないか、って思いました。

 

だから、ただの「作業分担」だったのかな、と。

もちろん双方が円滑に作業を進めるために必要な知識は学んでいこうと思いますが、お互いを信じて任せるとことは任せて、自分は自分がやるべき“アウトプット“に集中していこう、と思ったのでした。