わたしの考えてること

日々の生活を通して気づいたことを書いています

「似てる部分があったら嬉しいね」くらいの気軽さで、人との違いを受け入れていきたい。

ここでブログを書くようになって、毎日なんとなくはてなブログのトップページを開くようになって、最近思うのは、「みんなそれぞれ、違う朝があって、違う経験をして、違う感情を抱えて、それを惜しげもなく共有してくれている」空間にいるんだな、ということ。

 

毎朝トップページには色んな切り口の記事がたくさん投稿されています。みんな同じ「2024年6月15日」を迎えているのに、10人いれば10の視点があって、それぞれの経験と感情をフィルターにして、それぞれの「朝」を切り取って記事にしていくわけですよね。面白いなぁって。

 

同じ言語・同じ文化・同じ時代を生きていても、これだけ切り口があるのか。

「横並び」意識が強めと言われる日本人でも、こんなに違うのか。

今更ながら、「自分と同じ人なんて1人もいない」なんていう言葉を実感させられます。

 

以前、所用で海外に行くことになった時、先輩たちに「お願いしたいことは、はっきり言わないとダメ」と何度も言われました。例えば、「この部屋ちょっと寒いですね」ではなくて「寒いから、エアコンの設定温度を上げてほしい」と伝えましょう、ということです。

これ、「海外の人は気を使わないから」ではなくて、「みんな考えが違うから、相手の気持ちを勝手に想像する(決めるける)ようなことはしない」というスタンスだそうです。

 

確かにそう。「寒いですね(という季節の挨拶)」か、「寒いですね(でも、上着羽織ったら快適です)」か、「寒いですね(だから、もっと暖かくしてほしいです)」なのかは、聞かなきゃわからない。

多文化が入り混じっている国であればあるほど、自分の常識や考え方がみんなのものと同じとは限らないということを知っているんだと思います。

 

日本にいると、つい「察する」力を相手に要求してしまいます。

でも、違うんです。目の前にいる人と自分は、やっぱり「違う人」なんです。

 

自分の価値観は自分のもの、相手の価値観は相手のもの。

自分の価値観も尊重し、相手の価値観も尊重し、お互いに歩み寄ったり離れたり擦り合わせたりしながら、お互いにとっての「心地よさ」を追求していく。

 

似ている部分があったら嬉しいね、そこは違うんだね。

そのくらいの気軽さで、人との違いを楽しんじゃうくらいの自分でありたいな、と思います。